等等日記

広東生活、北京留学の日々など

中国留学のため4年務めた会社を退職しました

留学を決意するに至った自分語りと、退職について会社と色々話をした記録。特に何の挫折もなかったのですが、感情の覚書としてこの記事を残します。

 

 

中国政府奨学金を知ったきっかけ

私が中国政府が支給する奨学金の存在を知ったのは大学4年時の夏休み、大学生訪中団に参加した際の出来事。まず、この中国政府が主催する訪中団が太っ腹だった。手数料1万円+出発地東京までの交通費のみで北京・貴陽+上海を1週間旅行できるというもの(渡航さえ再開されればこのような企画もまたあるはず)。

貴陽にて


その1週間の派遣旅行で仲良くなった子が中国留学経験者であり、公費の奨学金を1年取得していた話を聞いた。

彼女によると公費留学はかなり手厚く、なんと学費、寮費、生活費などなどがサポートしてもらえるとのこと。しかも留学中の1年で自分で持ち出してお金を使うことはなかったと! !家計の事情で留学は考えられなかった…そんな私に舞い降りた夢のような話だった。

公費留学と聞くととっつきにくいけれど、友人は当時ほとんど中国語話せなかったのに奨学金もらえたよとまで教えてくれて…。いうまでもなくこの発言は友人が謙虚で素敵な人だからこそ聞けたものなのだが、その優しい言葉を聞いて私はまんまと調子に乗った。いつか行きたいなあと。

しかしこの時の私は研究で中国に関係はあれど別に中国語の勉強をしたことはなく(学部時点では英語の文献で事足りた)、その時すでに4月からの新卒内定は出ており、そのまま就職する予定だった。

いいな~!となりながらも、中国への航空券は欧米行のものに比べれば安いし、距離も近くて行きたい時にいつでも行けるか…。大学卒業時はそれくらいに思っていた。新しい日々に忙殺されて想像していた中国語の勉強は全く進まなかったが、実際仕事を始めてからは長期休みのたびに上海や雲南に旅行し、それで充分満足できていた。

2019年夏の上海旅行、民生美術館にて

2020年元旦の麗江





転機

雲南麗江で爆竹の音と共に2020年の年明けを迎えた私は、新型肺炎で初の死者が中国で出たニュースをTwitterで見かける。この時一緒だったのは奨学金について教えてくれた彼女と、大学生訪中団で一緒だった大学の先輩だ。

えーこわいね、なんて言いながら帰りの空港ではマスクを忘れなかったこと、あとになって自分に感謝することになる。その頃は新型コロナウイルスが大流行して海外渡航が困難になるなんて思いもしなかった。

のん気に2020年のGWベトナム旅行、お盆にバンコク旅行と計画していた私。もちろんそんな予定はなくなっていくことになる。旅行以外の趣味はインドア派な人間なので、おとなしく家に引きこもる日々が続いた。

 

そんな時に偶然日本で私と友人しか追ってないのでは?(実際そんなことはないが)という中国の俳優やバンドマンにハマったことで、徐々に中国語を読んでわかるようになっていった。

はじめは日本語字幕付きの配信番組を観ていたが、Weiboでの投稿記事を訳し、現地のファンの昂る思いを読み、遂にはわからないなりに日本語字幕なしの配信番組に熱中した。

中国は各地の方言の差が激しいため、基本的に中国で配信される映像には何でも全文字幕がつく。これが初学者に大変やさしかった。

しかし生配信では字幕がないため、推しの言葉が全く分からない。これが聞き取りの能力を上げねばと勉強のモチベーションに繋がった。推したち、本当にありがとう。

 

こんな中、前述した留学経験のある友人の話を思い出すことになる。

留学ビザは再開していないけれど、ずっと考えていたことを実現するタイミングなのかもしれない!!そう直感的に思った。

思い返せばとことん安定志向で、石橋を叩きまくって渡らないこともあった。でもここでちょっと冒険してみよう、そう思ってHSKを受験し、中国政府奨学金にチャレンジした。大学時代の恩師が「やりたいことを実現するには適切な方法とタイミングがあるから、それに挑戦し続けることが大切」と言っていたことを思い出しながら。

 

退職に至るまで

結果がどうなるのかわからないこともあり、職場には2月に合格したら留学の旨を伝えようと考えていた。しかし3月の定期異動を控え、様子がおかしい。色々部署の中が大変動しそうだということで一次選考合格時の1月末、予定より早く上司と話す機会を作った。

状況を説明し、7月まで働けるということを報告。その場で部長も参加してもらい、相談されることになった。

二次選考の面接でダメだったらどうするの?と訊かれ、来年もチャレンジするつもりと伝える。その場合は所属できる限り働き続けてくれと言われ、承諾した(結局合格したので7月までの勤務となったのだが)。午前中に役員まで報告が済み、話はまとまった。

急に留学の話をしたので上司は来期どうしようと衝撃を受けていたけれど…最終的にはあなたの人生だからと応援してくれた。働ける日程をはっきり用意したことで、上司もその後の引継の計画を組み立ててくれた。

正直自分と違うタイプの人が多い体育会系な会社だったので、仕事に対してキツいと感じる時期も長かった。希望と違う部署配属だったことも理由だったと思う。

しかし結果的には自分のペースでその場での振る舞いを学びながら、小さいコミュニティの中でゆっくりと関係を作っていけたと思っている。最初感じた偏見をなくしていけた経験や、苦手な人とも信頼し合えたこと、人と協力してお金を稼ぐということはどういうことかをしっかり身体で覚えた社会人経験だったので、働けたことに本当に感謝している。

休職も検討してもらったが、先が見えないこともありここでいったん退職することにした。4月から6月までは引継ぎとバックアップを務め、1カ月ほど有給消化をした上の退職となった。

 

不安がないのか、と訊かれたらもちろん不安だらけだ。ただ社会人経験を経たことで、ちょっとだけ自分に自信がついた(助けられてばかりだったけど)。留学に迷いはないとは言い切れず、ブルーになる時も多い。旅行と住むことは違うという言葉を見る度に心配になるけれど、そこで生活する人がたくさんいることを思い出し己を励ましている。

また幸いなことに中国に留学経験がある大学時代の恩師や父、そして放任主義で私を信じてくれる母に背中を押してもらえることができた。恵まれていることに、周りの友人一同も応援してくれている。書いてみると本当に何の障害なく留学まで進んでいるなあ…。

留学準備期間となった今は、しばらく空白期間となる。モチベーションを保ち、健やかに中国語を勉強していきたい。